道院では修練の始めに、必ず全員で鎮魂行を行います。
鎮魂行とは、座禅を組み,呼吸を整え,金剛禅の教えである「教典」を声に出して唱え自分に言い聞かせて心を正す行です。
金剛禅の鎮魂行で読む「教典」は、「お経(経典)」や「念仏」ではなく、人としてのあり方や、修行の心構えを自分自身に説き聞かせるもので、いわば「人生訓」や「道場訓」のようなものです。昔の言葉で書かれていますが、お経ではありませんので、内容はどなたにでも読めるものです。少林寺拳法とは、単に体を鍛える運動ではなく、正義を愛し人道を重んじる「人づくり」の行であることがお分かり頂けると思います。一度、目を通されることをお勧めします。
教典
【教典ポケット版】
● 聖句
己れこそ己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、
良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり。
自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、
浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。
* 聖句(尊い教え)
釈尊(釈迦)の説かれた教えを書き残した法句教の一説。少林寺拳法の拳士が目指す自己確立の原則です。
● 誓願
一、我等此の法を修めるに当り、祖を滅せず師を欺かず、
長上を敬い、後輩を侮らず、同志互いに親しみ合い援け合い、
協力して道の為につくすことを誓う。
一、我等一切の既往を清算し、初生の赤子として、
真純単一に此の法修行に専念す。
一、此の法は、済生利人の為に修行し、
決して自己の名利の為になすことなし。
● 礼拝詞
謹みて天地久遠の大みちから、ダーマを礼拝し奉る。
我等、無始よりこのかた、煩悩にまつわれて造りたる、
もろもろの罪とがを、悉く懺悔し奉る。
我等、この身今生より未来に至るまで、
深く三宝に帰依し、み教えに従い奉る。
願わくば良き導きと加護を垂れさせ給え。
南無、ダーマ。
● 道訓
道は天より生じ、人の共に由る所とするものなり、
その道を得れば、以て進むべく、以て守るべく、
その道を失すれば、即ち迷離す、故に道は、須叟も離るべからずと、いう所以なり、
人生れて世にある時、人道を尽すを貴ぶ、
まさに人道に於て、はずる処なくんば、天地の間に立つべし、
若し人あり、仁、義、忠、孝、礼の事を尽さざれば、
身世に在りと雖も、心は既に死せるなり、生を偸むものとゆうべし、
凡そ人心は、即ち神なり仏なり、神仏即ち霊なり、
心にはずる処なくば、神仏にもはずる処なし、
故に一動一静、総て神仏の監察する処、
報応昭々として、毫厘も赦さざるなり、
故に天地を敬い、神仏に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国法を守り、
師を重んじ、兄弟を愛し、朋友を信じ、宗族相睦み、郷党相結び、夫婦相和し、
人の難を救い、急を援け、訓を垂れて人を導き、
心を至して道に向い、過を改めて自ら新にし、
悪念を断ちて、一切の善事を、信心に奉行すれば、
人見ずと雖も、神仏既に早く知りて、
福を加え、寿を増し、子孫を益し、病い減り、
禍患侵さず、ダーマの加護を得られるべし。
● 信条
一、我等は、魂をダーマよりうけ、
身体を父母よりうけたる事を感謝し、
報恩の誠をつくさんことを期す。
一、我等は、愛民愛郷の精神に則り、
世界の平和と福祉に貢献せんことを期す。
一、我等は、正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、
平和を守る真の勇者たることを期す。
一、我等は、法を修め、身心を練磨し、
同志相親しみ、相援け、相譲り、
協力一致して理想境建設に邁進す。
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